マルサの女・脱税
前回の記事はこちら
あまちゃんの夏ばっぱが若いころ国税調査官をやっていたころの話である。
マルサの女1ではラブホテル経営者の山崎努を追い込み、マルサの女2では地上げ屋兼宗教団体管長の三國連太郎と戦う。
どちらも実によくできてる。
1作目はラブホテルのように領収書を切る必要がなく、明確な消耗品も少ない産業で容易な売上の除外が大きなテーマになっている。
法人は個人と同様所得に対して課税されるわけだけど、売上が小さく経費が大きいほど払う税金が減る。だから手口は売上を小さく見せるか、経費を大きくするかのどちらかになる。
理髪店なんかは誰も見てない所でお客さんの髪を切っちゃえば簡単に売上を別の勘定にできそうなものだけど、そういう典型的な手口は簡単にバレる。というのは、税務署や国税からすればどんな業態でも財務3表が見れるわけだから、同一業態の中でその比率がおかしい会社を順番に洗えばいいわけ。
そして税務調査に来られて、消費したシャンプー剤や毛髪の廃棄料が明らかに多いとそれを指摘される。
一方、2作目は脱税スキームに宗教法人が組み込まれている。マルサの女の世界では宗教法人が周囲のパチンコ屋やソープランドの実質的経営者、ということになっていた。
そこで宗教法人の税金について少し調べてみることに。
宗教法人にとってその宗教活動に関わる金銭に税金がかからないのは以下のような理由だ。
例えば会社の有志十数人で旅行にいく。一人15万円かかるとする。15人いると225万円集まる。
これを幹事がまとめて旅行代理店に支払う。そして全員で旅行にいく。
このとき、幹事は集金した225万円に対する税金を払う必要はあるだろうか? あるはずがない。
彼らは自分のお金を自分の口座の外に出しているものの、皆で寄せ合ったお金を皆で使っているだけだ。
宗教も拡張してこの原理による。他人のお金を自分のものにしたときに税金がかかり、自分のお金を移動させることには税金がかからない。
屁理屈のようだけど、そういうことらしい。
ちなみにこの本はそのほかにも参考になることが多くて、とくに新興宗教のビジネスモデルや、各団体の事業規模は勉強になった。
この本に出てくる真如苑、阿含宗とかは知らなかったんだけど、武蔵村山に広大な土地を買ったり、相当潤沢なキャッシュを持っているという。信者数で割ると創価学会を圧倒するらしい。
宗教法人が脱税のスキームに組み込まれることは珍しくなく、本の紹介によれば地上げ+宗教+脱税のハイブリッド(マルサの女2の話そのもの)が近年も実際に会ったという。その場所はこちら。
貞子3Dの感想
まぁ一言で言えば駄作なんですけど、だいたいあらすじはこんな感じ。
石原さとみが可愛すぎてずっと勃起してた///
貞子3D≒ワンピースです。
まず、物語の概要は、覇王色の覇気と見聞色の覇気を身につけている石原さとみが、恋人のため、みんなのためにクモ型足長人間をやっつけていくアクション映画です。分類でいうと、アクション、感動。と言ったとこでしょうか?
この映画を怖いと感じた方はおそらくほとんどのホラー映画を怖いと感じるでしょう。つまり全然怖くないです。とりあえずストーリー展開早すぎ。また貞子3D2という形ではなくべつの形で続きがありそうな気がしました。それで最後貞子の顔が出るのですが、めちゃくちゃカワイイですbbbbbbbbb 正直ヌケるレベル。。。。。。。
あー石原さとみかわいかったーーーーーーーーーーーーー
yahoo知恵袋より引用
もう少し補足します。
話を単純化するために石原さとみは一人目の貞子とします。
平祐奈を二人目の貞子とします。
橋本愛を3人目の貞子とします。
あなたはどの貞子が好きですか??
上祐・少年の国・陰謀論
面白い動画を見つけた。
ライターのターザン山本、最近ビートたけしに怒られた吉田豪、芸人のプチ鹿島(この人は知らなかった)、そしてオウムで麻原の一番弟子としてメディアに引っ張りだこだった上祐。この4人によるトークライブ。
近年(といっても3,4年前になるけど)上祐がそこまで言って委員会とかオウム総括系の真面目な討論番組等にゲスト出演し、そのたびに真面目な表情でオウムの反省なりを話しては、周りの出演者からバッシングされてることは知っていたが、こんなカジュアルなイベントにも出てるのは知らなかった。
そこまでいって委員会なんかでは「お前が坂本弁護士殺害を知ってたのにそれを否定して遺族を侮蔑していたのを忘れない」だのサイコパスだのと散々な言われようであった。まぁそれだけ見れば少しかわいそうなのだが、当時のオウムをリアルタイムで見ていた人、つまり30代後半くらいの人からはそんなふうに言われても仕方ないように見えるかもしれない。
(私個人としては上祐はわりとセーフで引かない。たぶん佐川一政とか少年Aになると引いちゃう。)
トークライブの内容は本当に面白いしわりと長いので作業用BGMにでもして聞くとちょうど良いのだが、かいつまんで言えば
・上祐が麻原を盲信していたように、自分も猪木を盲信していた
・団体の危機に際しロシアから帰国した上祐は、前田日明と一緒(プロレスファンなら納得できるたとえらしい・・)
・上祐はセックスはもちろんオナニーもしない、瞑想によって性のエネルギーを上半身に移せるらしい、しかし夢精はOKとのこと
・上祐的にはエヴァンゲリオンは麻原のビジョンに似てるらしい
・「大川隆法と奥さんが離婚して、奥さんがアフロディーテだったのが新解釈で新しいアフロディーテが3人できた」などのゴシップも上祐はウォッチしている
・ロシア出張中、ボリショイ・バレエは見に行った。感動したらしい。
上祐が地下に潜る修業を行った話(↓たぶんこれ)も面白い。
吉田「一人で入って大変じゃないですか」
上祐「一人のほうが少ない酸素で足りるし一人のほうがずっと楽」
鹿島「(ターザン山本に)週プロの全盛期だって同じじゃないですか? 閉じ込めて原稿書かせて消費してくだけでしょ?」
上祐「それはいくらなんでも笑」
ターザン山本「チリの落盤事故観ててどうでした?」
上祐「あれは酸素があるから〜〜。だけど精神的に落ち着かないでしょうね」
動画は他にもいくつかあって、なぜか小沢一郎についてどう思うか見解を問われわりとまともな返しをしてたり、謎の右翼芸人から「ダライ・ラマに迷惑をかけたのだから今からフリーチベット運動やりましょう」と誘われるなど、かなり私のツボにハマった内容だった。
少年の国
最近この「少年の国」というマンガを読んだが、なんとなくオウムが伸びた80年代・90年代の世相を感じることができた。
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「科学的に証明されている教団の考えがあって、みんながこの通りに活動していかないと環境破壊等で地球は滅びる」というオウムチックな思想で小さな活動団体が巨大化していく。
最終的には教団に批判的な有識者を呪い殺そうとして、呪いが成就しなければそれを成就させるために凶行に及ぼうさえするようになって・・・
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というお話し。今から見れば完璧にオウムがモデルになっているのだけど、この作品が発表されたのは91年である。つまり世間がオウムに確信的に疑惑を深めた95年から4年も前のことだ。
オウム事件について、バブル全盛期で世間が浮ついている中、それ違和感を感じるあぶれた学生たちの心を引きつけた、という主張がなされることがあるけど、これは半分間違ってると思う。そういう話なら「リア充・ぼっち」という言葉ができた今のほうが宗教が流行ってもよさそうだし、上祐には彼女がいた。(彼女と一緒に出家しましたという人もいる)
そういうわけで、まぁそういった人もいたのは間違いないにしてもそれが特徴的だったとまでは言えないのではなかろうか。
それよりは世紀末の特別感だったり、いよいよ地球がパンクするという主張が増え始めた時期というのはオウムを受容した要因として意外と大きいかもしれない。
陰謀論
オウムが発展した思想的背景には妄想的終末論やフリーメイソンとオウムとの戦いというような陰謀論があるわけだけど、オウム自体に対する陰謀論、つまりオウムは北朝鮮・ロシアと密接な関わりがあったのではないかとか、暴力団との関係、村井秀夫刺殺の真相などは未だに世間からの憶測が絶えない。
このへんについてもトークライブで上祐がざっくばらんに話していて、「ロシアとは金を出せばエリツィンと会える所までは持って行けて、金出せばなんでも買えた」とか「村井刺殺に暴力団が関係していたのは事実だが、麻原が村井を疎んで消すように依頼したのではないか」などのことは言ってるのだけど、これについては関係者が存命なので最も陰が感じられる言い回しだった。
上祐が意図してしゃべっていないことがあるとすればやはりこのへんは本命だろう。
その関係でいろいろ見てたら、「村井秀夫刺殺事件の真相を追って」というズバリなブログを発見してしまった。
まぁ陰謀だの終末論なんていうのはエンターテイメントとして、与太話として消費するのがちょうどよいだろう。だから昨今のAIが人類を滅ぼすなんていう話も真に受けてはいけない。
npmでパッケージの複数バージョンがサポートされると幸せなんだけど
とうとうbrowserify-railsを入れてしまいました。 で、jsのライブラリがnpmで管理されるようになったんですが、一つ問題が。
僕はふだん
app/assets/javascripts/recipe.js
app/assets/javascripts/kitchen.js
app/assets/javascripts/restaurant.js
みたいにある程度ページ構成とかで同一アプリの中でも住み分けができるものをこのように分割して、jsからcssからcontrollerに至るまで疎結合にしてます。 これには大きく理由が2つあって
app/assets/javascripts/application.js
のように単体のjsに全て圧縮するとPVの少ないマイナーなページだけで使う巨大なライブラリなども含まれた時に無駄な読み込みが増えてしまうこと。
ある程度の画面構成をサブアプリとして捉えれば、サブアプリごとにjsのライブラリを変えていって「今までBackbone.jsを使っていたから今後も使い続ける」のような保守的な理由でモチベーションが下がることを予防するためです。
例えばRailsの場合だと
vendor/assets/javascripts/vue@0.12.1
vendor/assets/javascripts/vue@1.0.0
のようにライブラリを複数バージョン入れておけば、それぞれのrequire
で読み込み先を変えて古いページでは古いバージョンをそのままで、新しいページでは新しいバージョンを使用、ということもカジュアルにできました。
時間があったときに古いページのjsもアップデートするか、そもそも古いページでフルリニューアルが合った際などに一気に古いバージョンを捨てるだけなので新規の実装への縛りが減ることやコードの廃棄可能性(他への依存が少なくまるっとリプレイスできる)が上がるので大変気に入ってる仕組みです。
ところが、npmだと現状package.jsonに書いたライブラリのバージョンは一つしか入らないようなんですね。
このことで議論になっているissueを見つけました。
要約すると例えば
{ "jquery as jquery1.8" : "1.8"; "jquery as 2.1" : "2.1" }
みたいにできたら良くない?っていう主張に対して、isaacs氏が「リファクタリングが足りない」「npmの責務はdependenciesの中のものをnode_modulesの中にぶち込んでrequireできるようにするだけ」と突っぱねてる感じ。
ユースケースとして上で上げてるのが一つ目、あるモジュールで複数のバージョンに互換性があるか検証したいというのが二つ目、2つ以上のプロジェクトをマージしたケースなどが3つ目として上げられている。やっぱり同じことを考えている要望は多いようだが・・・。
個人的には将来的にマイクロサービスにしていきたいものを現実問題として結合させたままにしておこうというノリなのでクライアントサイドはなるべく分けたいのだがどうしようか・・。
前任のエンジニアをリスペクトしよう
一人か二人で保守していたサービスがあって、そのエンジニアがなんらかの事情でいなくなったり入れ替わりで引き継ぐことになったとする。 こういうとき世間全体を見渡せば、前任のエンジニアが自分より劣っているか優れているか、確率は2分の1である。
しかしながら一般的に、前任のエンジニアはディスられやすい。というのは、たいていの現場では引き継ぎは不十分だったり、ソースコードには負債があるためである。
心に胸を当てて考えて欲しいのだけど、前任のエンジニアをdisったことはないだろうか? 今から考えれば私も「ここの実装はXXだ」とか「サービスに対して過剰に設計してる」だとか「テストがない」とか散々disってた気がする。 しかし最近は手離れしたプロジェクトが増えてきたので、言われる立場になることも多少出てきた。「初期の設計がおかしい」とか「拡張性がない」とか。
当時はプログラミング初めて3ヶ月とかで何もわかってなかったのをタダ同然でプロトタイプとして作ったようなもんなのに、なんだかんだ何年もそのまま使い続けて仕様も変わっていってる中でそんなこと言われても困りますよとか、言いたいことはいろいろあるのだけど上のdisも所詮そんなようなものでしかない。
というわけで、これからは建設的な開発のために以下のようなことを心がけようと思っている。
誰かに引き継いでもらう場合
- 難解な設計は行わない
- ドキュメントを作る
- 技術的な負債や自分が気になっている点、開発期間を経て仕様が変わったことでおかしくなってしまっている点などは明文化する
- 平均的なエンジニアが難なく引き継げるものを作る
- そういう意味でReactとかってどうなんだろう?
誰かのものを引き継ぐ場合
- 前任者disはあまり行わない
- 学べるところは学ぶ
- そのレポジトリに含まれてる全ての知識で前任者より自分が優っているということはほとんどない
- 前任者のスキルが低くても、「スキルが低い人にありがちな設計ミス」などが分かる
- 今のアプリケーションや仕様に対して、ソースコードがおかしいのはしょうがない部分もある。時間軸を考慮してあげる
お互い想像力を駆使したいところである。
歌舞伎界に対する素朴な疑問
いつもこういう記事を見るたびにそもそもの疑問がある。一体全体、歌舞伎ってなんですか、梨園ってなんですかということ。
前から疑問なのだけど、歌舞伎の人は西麻布で暴れてボコボコにされたり隠し子がやたらいたり、誰と誰は絶縁状態とか、飲酒運転だの暴力報道、そんなのが芸能界に詳しくない人でも分かるほどたくさん報じられている。 一時的に騒がれてもすぐに鎮火して、数年後には「色もやんちゃも芸の肥やし」的なムードで明るく迎えられている。
これってどういうことなんでしょう??
で、これが国民的人気タレントとか人気スポーツとかならまだしも、正直国民の多くは海老蔵等が好きとは思えないし、興味なしまたは嫌いという人が多いのではないだろうか。 さらに歌舞伎自体、野球や相撲などと比べていくら伝統芸能だからとはいえ今の日本的にはマイナーな感がする。そもそも歌舞伎を見たことがある人はどれだけいるのだろう。世の中の95%の男性はAVを見たことがあるだろうけど、歌舞伎を見たことがある人は5%くらいではないか。
だから上の記事のように、報道する意義もないものを報道し、ただひたすら不快に思う人を増やすような記事にいったいなんの価値があるのかと思う。
user-scalableどうするか
viewportにuser-scalable='no'という文字列を指定するとスマホとかで拡大ができなくなる。
私はスマホ対応といったとき、デバイスの横幅に合わせて横スクロールが発生しないことと拡大せずに閲覧できることだと勝手に思っていたが、そもそもスマホ対応していようが拡大しないと読めないレベルの視力の人は大勢いる。 とくに私が主宰のサイトは高齢者層が多いので、極端に拡大しないと文字が読めない人もいる。 そういうわけで以前から、analyticsで高齢者がほかより多いと確認できていたタブレットユーザに関してはviewportのuser-scalable='no'を外していたのだけど、今回全面的にuser-scalable='no'を辞めることにした。
ところで、多くのサイトで今user-scalableがどうなってるのか気になったので調べてみた。
Cookpad => 拡大できない
トップとレシピページしか見てないが拡大できなかった。
食べログ => 拡大できない
こちらもトップとレストランページしか見てない。
Yahoo => 一部できる
トップはできなかったが
ニュースはできた。このように文字数が多いページは拡大できるようにしてるみたい。
はてブ => できない
主要なページ一通り見たができなかった。
Amazon => できない
朝日新聞 => できない
ここまでの傾向から老人のユーザが多い文字が多いサイトは拡大傾向にあるのかと思ったが朝日新聞はそんなことはなかった。
Naverまとめ => できない
できない。まぁ見出しと画像しか見てない気もする。
Wikipedia => できる
楽天 => できない
今回いろいろ見た中で、一番拡大させてくれよと思った。画像の中の文字が読みづらい。読めない人もけっこういると思う。
Apple => 拡大できる
Google => 一部できる
検索結果は拡大できなかったけど、トップはできた。
まとめ
予想以上に拡大できないサイトのほうが多かった。文字数が多くて文章の内容を伝えるのが価値になるサイト、とくに50代以降で老眼が進んでいるユーザが多いサイトでは拡大はできたほうが良さそう。 また、画像にテキストを埋め込む場合、cssでコントロールできないのでレスポンシブでスマホで潰してみた時に識字しづらくなる場合があるけど、拡大を許可するだけで代替画像とか用意しなくてもまぁOKなので、そういう点では楽できると思う。
ちなみに幅を固定したままで文字サイズを変更できるようにしたいなら、htmlの基準font-sizeを14とか20とか動かせるようにして、それ以外のフォントサイズ等をすべてremで指定すればいいと思う。jsで切り替える感じで。 でも、ユーザにとってそれとピンチジェスチャーどっちが楽ですかっていう話でもある。