藤田田 「ユダヤの商法」には何が書いてあるか
一部経営者の間では伝説的な存在となっていたユダヤの商法が新装版として再発売された。
伝説的というのは、絶版状態で中古で1万円以上するのが長らく続いていて、藤田田の本を読みたくてもなかなか読める状況ではなかった(ただよく考えたら国会図書館に行けば読めるが)
再販を知ってすぐに予約し、さっそく読んでみた。内容は古い部分もあるが、商売の原理原則に通じる、まっとうな内容だ。
一部抜粋して紹介したい。
78:22 宇宙の法則
パレートの法則を含むあらゆるモノが不思議なことに約8:2の比率になっているという。非論理的だが、パレートの法則の8:2と人間の身体を構成する水分比、空気中の窒素対酸素の比率は、すべて同じ原則に基づくという(ちなみに正方形に内接する円と、正方形-円の面積もだいたい8:2だという)
金を貸したい人・借りたい人、日本の総所得に占める上位2割の存在など、あらゆるところでこの8:2の考え方で状況を整理すると良い。本書ではその考え方の応用として、8割の資産を握っている2割を商売の相手とするのが効率的だと語られている。
第1の商品 女を狙う
金は男が稼ぎ、女が使うと語られている。上野千鶴子氏がどういうかはともかく、男の消費活動はキャバクラなりパパ活なりでそのまま女性にパススルーされることが多いので、これは正しい気がする。例えば美容やアクセサリーの分野が「女を狙う」商売として例示される。
これについて個人的に思っているところで補足すると、あらゆる商売がアービトラージだと捉えるなら、経済性を対価に差し出す商売は、もたらす経済性の分までが儲けになる。平たく言えば、あるソフトウェアを導入して削減できたコスト分未満しか、そのソフトウェアは儲からない。
一方、商売には経済性ではなく精神性や欲望の充足を対価にするものがある。やりがいのある仕事で低収入で雇用している事業、風俗産業、ダイエットなどがそれに当たる。この手の商売は、消費者の精神的満足がバリューになるので、原価に関係のない値段がつくことが多い。
前者を経済合理性の商売、後者を精神合理性の商売とすると、儲かる商売は精神合理性の商売といえる。そして女性のほうが、そういう商品を求めているケースが多いと思う。
第2の商品 口を狙う
口にふれるものなら何でもよく、食品や薬品、水などを扱う商売は儲かる。なぜならこれらは必ず直ちに消費され、すぐに新しいものが必要になるからだ。ただこの商品は第1の商品にくらべて難易度がやや高い。そこでやや第1の商品より扱いづらいという点で序列がつけられている。
契約は神様との約束
この書ではあらゆる取り決めや約束ごとは、どんなことがあっても守るよう厳命されている。ユダヤ人的な発想では、一度契約した相手は全力で信頼をし、どういう場合であれ契約が不履行となれば容赦なく損害賠償を請求してユダヤ人コミュニティから排除する。
藤田氏のエピソードとして、ユダヤ系企業からスプーン・フォーク等の発注を受け、製造業者にそれを依頼した話がある。藤田氏は一流の商売人だから納期を守る意識があったが、納期前に製造業者に確認すると数週間程度の遅れはご愛嬌だとのんきなことを抜かす。結局納期ギリギリに商品はできたが船便では間に合わないので、大損を出して飛行機をチャーターして納品した。
製造業の日本的慣習は知らないが、私も商売上下請けやパートナー企業の怠慢でクライアントに迷惑をかけたことがある。当時は板挟みとなってババを掴まされたなという気分だったが、契約違反は容赦なく追求する、第2第3の手を打って納期に間に合わせるなどが必要だったなと反省している。
厚利も商法なら損をしないのも商法
儲けるのと同じくらい損をしないのも大事で、雲行きが怪しくなったら今儲かっていようとさっと手を引くのも重要。
確かに世の中では成功譚やアップサイドばかりが強調されているけど、ダウンサイドの手堅さこそが経営の上手さというのは納得できる。
その他、細かいエピソードを交えながら藤田田氏がユダヤ人との交流の中から編み出した、藤田式商売術が語られる。そう、これは確かに一部はユダヤ人コミュニティの中の商売原則のようなものは含んでいるけど、大半は藤田氏がユダヤ人を含むあらゆる人々との商売を通じて体感した藤田メソッドというのが実態に近い。藤田氏がユダヤ人にコンプレックスというか畏敬を抱いているのは確かだと思うけど、自身のビジネス本をユダヤ商法と箔付けして売っていると考えれば、藤田氏の商売の上手さがこの本自体にも現れていると思う。
今日から使える 野望の王国スタンプ
画像を準備しておいて、LINEやfacebookのメッセージで突然送ると相手に強烈なインパクトを与えることができます。
本当は200コマ近く用意してるのですがさすがに全部あげるのはまずい気がするので、使い所のコマを厳選します。
無礼者!
シンプルだが小田の鬼気迫る表情が魅力的。
戦争だあっ!
「戦争だ」は兄弟そろってあるが征二郎版のほうが顔が好き。
生き神さま 大教主さまっ!
やはり柿崎。ありがとうございますという意を伝えるのに使うと効果的。
ヌンッ!
おれは決して間違えたりはしないっ!
はめられたあっ!
# 余談
これを集めるために2周ほど再読したのですが、読むたびに感想が変わりますね。
野望の王国は最初の一読では長ったるい古めかしい画の話だと思いますが(事実僕も初めて読んでから4,5年後になってドハマリしてます)、2回目は
- あまりの荒唐無稽さ、なぜ川崎市の一ヤクザが日本政界の黒幕として首相や警察権力をフルで使う相手と五分の戦いをしているのか
- 右翼団体が自衛隊の正規部隊を私兵として使っている点
- 不死身で何度も蘇る柿崎
- 次から次に使い捨てヒットマンと犯罪犠牲者が出る
- アメリカ軍ヤクザ部隊という謎組織
- 宗教に罹患した人は完全に判断能力を失ったロボットとして書かれている
- 兄を倒してまで手に入れた権力だが、それを使って何をしたいというビジョンは一切語られない
- 鬼気迫る顔芸と独特の台詞回し
- 27巻もひたすらと続く権力争い(それでいて削っても良さそうな中だるみが全然ない)
どれをとってもこれはギャグマンガじゃないかと思えるバカバカしさに笑えます。
そして3回目は、征五郎、征二郎、柿崎の3人と周辺人物の人間劇。家族や腹心、子分を殺した柿崎に対する怨讐、自身を転落させた橘兄弟に対する復讐心、愛する兄を倒して野望達成を誓う征五郎、3者それぞれに感情移入して読めるようになってくる。
だから教会で橘兄弟を狙う柿崎や、自分の手で仕留めようとする征二郎、最後に霞が関・永田町を片岡と見下ろす征五郎、それぞれのシーンで泣けて来るのです。
平成政治史を振り返りたいんだけど
私は政治的ポリシーは若干リベラル寄りのノンポリだが、政局に関してはコテコテの派閥政治ウォッチャーだ(笑)
最近、「ゆっくり」なる動画の作り方を覚えたので、「平成政治史を振り返る」なる動画を作ろうとしてるんだが、平成4年あたりのボリュームが多すぎて全く先に進まない。
そこで小出しになるが、平成4年の政治史の何がそんなに複雑でボリュームが大きくなるか、手短にまとめたい。
平成4年ということは1992年で、ときの政権は宮澤内閣である。92年の世相を当時の週刊誌で振り返ると(私は真面目なのでこういうとき国会図書館で一次資料をあさりまくる)、92年の顔1位は貴乃花光司、2位は金丸信で3位は竹下登となっている。というふうに、表の顔は宮沢喜一だけど世間の認識では金丸・竹下による竹下派支配全盛期である。
竹下派については、平成元年の海部政権成立時に小沢一郎が47歳の若さで幹事長に就任して以来、小沢を高く評価する金丸(派閥会長)が小沢を引き立て、金丸-小沢ラインと竹下-その他ライン(小渕等)ができあがっており、経世会(竹下派)内部に対立構造が生まれていた。
宮澤内閣はそんな経世会支配を目の上のたんこぶにしていた。
そのパワーバランスの中に東京佐川急便事件が起きる。これも説明しだすととてもブログ1記事には収まらないので手短に言うと、金丸信が失脚(92年9月)した。経世会の均衡が崩れ、小沢が竹下派の継承を目指すも闘争に敗れてグループを作る(改革フォーラム21、92年10月)。
以上が表の史実だ。ただこんなことをまとめたところで面白くもなんともない。そこでここから先は、自分の見解も交えた政局評になる。
92年12月、宮澤内閣が改造を断行
まず宮澤内閣の目から見て経世会が↑のような分裂をしたらどうだろうか。この機に乗じて竹下派支配からの脱却を目指し、両者(小沢・竹下)が潰し合うことを望むだろう。しかし現実には宮澤内閣は経世会分裂直後に内閣改造を行い、人事を餌に反主流派(小沢グループ)の切り崩しを行う。宮澤-竹下はいつの間にか手を組んで小沢打倒に傾いたということだ。他派閥(三塚・渡辺)もこれに同調する。
92年臨時国会、内閣不信任案は提出されず
この臨時国会では東京佐川急便事件によって竹下・小沢は証人喚問され金丸は議員辞職している。現代の感覚なら明らかに野党から不信任案が出るべきだ。しかし出なかった。なぜなら小沢グループが同調して可決するリスクがあるからだ。要するにこの時代の野党(社会党)は自民党と内通しており、幹部には第二竹下派というべき人間がおり、竹下が内閣不信任案の提出のタイミングをコントロールしていたのだと思う。
新党構想、からの93年不信任案可決(6月)、解散へ
明け93年、不信任案が提出されると小沢グループは賛成し離党する。宮澤内閣は解散断行する。ちなみによく誤解されるが解散によって自民党は議席を減らしたわけではなく、離党者が多かったので過半数割れになっていた。
この不信任案は社会党を中心とする野党から提出されたが、↑で見たように野党の不信任案は竹下派がタイミングを管理していた可能性が高い。この不信任案可決は竹下登の政界スケジュールの一つだったと思う。
ただここで、
①不信任案可決→小沢グループの切り崩しに93年前半で成功している→過半数維持可能
②不信任案可決→小沢グループ切り崩せず過半数維持不能
の2パターンがある。上で説明した内閣改造から野党の懐柔までうまい具合に小沢包囲網を築けたのは、
・三塚、渡辺・・・①or単独政権復帰後の首班指名約束
・社会党・・・②のときの首班指名約束
・宮澤内閣・・・この密約による一時休戦
を餌にしたからなのだろう。
社会党、新生党・日本新党との連立政権
93年7月、総選挙の結果を受けて非自民8党連立政権が誕生する。社会党はこの時点では小沢率いる新生党に与する格好となった。「あれ、第二竹下派とかいって結局小沢側についてるの?」ってなるんだけど、冷静に考えて自民党に不信任案を突きつけた政党が総選挙後に自民党といきなり連立するのは立場が悪い。
ということで、竹下登としてはそれこそ隠れ竹下派の武村正義あたりを政権に送り込みつつ、ワンポイントリリーフで新鮮味のある政権を作らせて、適当なタイミングで潰して国民のガス抜きにするくらいに思っていたんじゃなかろうか。
だからこの政権は社会党離脱によってご破産となっているし、すぐに社会党首班の連立政権が生まれた。
しかし、それこそ本気で潰す気ならやはり細川内閣なんてすっ飛ばして宮澤→村山内閣の成立は理屈上可能だったと思う。これは小沢一郎に華を持たせたのか、社会党の事情を考慮したのか、長期的な自民党の支持率回復のためにあえてのことだったのか、わからない。
といったように、平成政治にはロマンが深いのである。↑の内容で平成5年までだから、ここからYKKや野中・青木・古賀、加藤の乱、小泉vs旧竹下派、小沢復権、民主党分裂、安倍一強時代へ・・・・と解説していっては、尺が足りなすぎる。
メダロットはなぜポケモンになれなかったのか
あいみょんのヒット曲がメダロットのBGMに似ていると一部話題になっている。個人的にメダロットは子供の頃にけっこうやりこんでいた部類のゲームで、久々に懐かしさを感じた。
昔やったゲームの動画を見ると、単に懐かしむのではなく新たな視点で物事が見えることがある。メダロットの場合は、「ポケモンはこんなに人気になったのに、なぜメダロットはそうでもないのか」という商業的観点だ。
そもそもポケモンは任天堂がやっていてメダロットはイマジニアという中堅ゲーム会社がやっている。時系列でいうとメダロットが1997年11月、ポケモンが1996年2月なのでメダロットはポケモンのヒットを受けて模倣している可能性がある。ポケモンになれなかった、ではなく中堅ゲーム会社でも二番煎じ的に2ベースヒットは打てた、と解釈してやるほうが正しいのかもしれない。
メダロットがだめなところ ネーミングが雑
メダロットにロボロボ団という、あからさまにロケット団を模した適役が出てくる。構成員は2以降はスルメ、サラミ、シオカラ、サケカース、ヘベレケ博士、1ではタイフーン、レイカ、スズメ、イナゴ(稲作の天敵)が、「許さないロボー」などと話している。ダサい、ダサすぎる・・・。小学1年生でもきついんじゃないだろうか。
その一方で、「じゅくれんど(熟練度)」「じゅうてん(充填)」「ほうねつ(放熱)」といった言葉がゲームシステムに組み込まれてる。メダロットはターン制で外側で司令を受け取って中央の前線まで走って攻撃、外側に引き返して司令を受けて、を繰り返す。このシステムはオリジナリティーがあって良い。前線までの移動時間が「充填」、攻撃後司令塔まで戻ってくる移動時間が「放熱」で、大人なら言葉を聞けばわかるが、これは小学3年生くらいでも言葉の意味がピンと来るか怪しいのでは。
メダロットがだめなところ 作品の一貫性がない
メダロットは第1作はポケモンのように主人公があまりしゃべらないのだが、第2作からは主人公が変わってよくしゃべるようになる。これが2,3,4作と続いて、なぜか第5作で主人公(というか世界)が変わってしまう。しかもゲームシステムに謎のじゃんけんとか始まってるし。
作品として新鮮さをもたせていくところと同じことを一貫することは違うということ。
メダロットがダメなところ だるいところがある
一番は雑魚キャラとエンカウントしたときに「逃げる」コマンドがない点。しかもその雑魚キャラを消化するのにポケモンの10倍は時間がかかる。
あとは次のイベント進行地点が分かりづらいので、詰まる。例えばポケモンなら基本的に行ってない方向に行けば良く、イベント発生で一度経由した地点に戻るのはトキワシティのジム戦とかだけど、そういうのが多い。次のイベント地点のヒントを見逃したり、セーブして忘れると悲惨。
まぁこんなところだろうか。
個人的にはメダロットは5を途中で離脱してしまった。5については全く記憶がないから全くおもしろくなかったのだと思う。同じ世界観で、細部のデザインを工夫し、対象年齢をもっと具体化していればもう少し上に行ける可能性があった作品だと思う。
フォーマットとコンセプト
抽象的な話なのですが、本にせよテレビにせよウェブサイトにせよ、メディアの成否はフォーマットとコンセプトに強く依存していると思います。
例えばある二人が新規事業を考えているとき、
「旅をテーマにしたウェブサイトを作ろう」
「いや、旅行メディアはretripがあるし大手はじゃらんもある。勝ちようがない」
などと話していたとします(うちの会社だったりします)
旅をテーマにしたメディアが当たるか外れるか、競争が多いのか少ないのか。多くのビジネスはここで議論が難航し、旅がダメなら「丁寧な暮らし」にしようなどとなるのですが、本質的にはフォーマットとコンセプトが発明できるかどうかだけが成否なので、ぐるぐるとテーマを変えていても意味はない。
飲食×インターネットメディアという軸でしかモノが見れてないと、ぐるなびのあとに食べログは成立するけど、食べログのあとにRettyは成立しづらいというのが理解できないでしょう。
上記の程度のことであれば、ある程度インターネットメディアに関わっている人からすれば常識的に理解されると思うのですが、この話をわざわざしようと思ったのは「水曜日のダウンタウン」が非常によくできているなぁと思ったからです。
水曜日のダウンタウンがやっていることは、一言でいえば一流の芸人が出演するドッキリ番組ですが、フォーマットは説の検証、コンセプトは芸人自ら企画をプレゼンして(演出上でしょうが)、エッジの利いた企画を持ち込む所にあります。
うまくいっている番組は根源的な面白さはドッキリのように使い古されていて、フォーマットとコンセプトによって飽きられない・ネタ切れしないようにできています。
業務で軽くyoutubeの企画を考えたりすることがあるのですが、結局根底の面白さ・有益さはごく限られていて(ドッキリ、作る・実験する、商品やお店を紹介する、一般人にインタビューしていじる、視聴者の代わりに遊ぶ)、古典的な面白さなんだけど視聴者にそれと気づかれず、新鮮なものを届けられるかがポイントに感じています。フォーマットとコンセプトが優秀であればあるほど、ネタ切れしづらく安価に大量に作れて毎回新しい面白さを提供できるんだなと。
youtubeで最近知ったのは以下のマッチングアプリの動画なんですが、これはインタビューして編集するだけで、毎回人と内容が多少変わっているからある程度は見る。だけど、やはり企画のマンネリ化はあるしコンセプトが強くないから、類似が出てきたらそれでも満足できちゃう。
このへんが本当に難しいですね。
名探偵コナンについて
コナンについて10年前から思っていることですが、
高校生探偵という天才コミュニティに属し
実家が超絶豪邸で
母親が超美人で
当然運動もできて名もない男たちからの人望もあり
そんな万能リア充が幼児化して、さらに無双して世界の巨悪?と戦う
これらすべてがこのオッサンの妄想だと思うと、泣けますね。
参考
名探偵コナンのクッソ恥ずかしい台詞で打線組んだ :日刊やきう速報@野球まとめ
41 作者は大マジやぞ