プログラミング 美徳の不幸

Ruby, Rails, JavaScriptなどのプログラミングまとめ、解説、備忘録。

新卒等に対する自己紹介やムチャぶりについて

例えば体育会系の会社では、全裸になって踊ることを強要されたり、陰毛に着火して大爆笑をとるらしい。あるいは、宴会で一発ギャグをやらされるとか、カジュアルなところでは面白い自己紹介をしなくてはいけないなど。

しかしながら、全裸で踊ることは多くの人にとっては抵抗があることだし、第一スベった場合のメンタル的なリスクは人によって異なる。やらされる側の多くの人はこういった文化を拒否とか嫌悪まではいかずとも、なんとなく回避したいという思いがあると思う。(なお、私もやらされる側だったことはあるけれど、常識の範囲内だったし様々なご厚意も頂いたので結果として辛い記憶とは思ってない)

なぜ、こういった文化が存在するのか?

考えられる第一の仮説に、実はすでに試されており、臨機応変さや場の空気が読めるかを検証されていると考えが挙げられる。確かに、確実な統計資料は当然ないが、営業成績が良さそうな人は宴会芸も得意そうだ。
あるいは、新入社員に対してまずは仕事以外のコミュニケーションから始めることで、組織に受け入れられたという感情を演出するためという説もあり得る。しかしながら、自己紹介がスムーズにウケて、その後の社内コミュニケーションに役立つことは確かになくはないが、スベってしまうとメンタルヘルスに重篤な影響を及ぼし、その後の会社での立場はおろか、仮になじめず退職したあともコンプレックスをかかえ社会復帰できないかもしれない。こういったリスクに対して、釣り合いがとれるだろうか?

また、歴史的な観点から考えると資本家と労働者の階級による矛盾という考えもできる。すなわち、会社はそもそも資本家と、それに類する少数の経営者からスタートする。経営者の周囲に初期の従業員ができ、さらに社員数が増えた場合に資本家や初期の従業員が新入りに自己紹介を強要する。けれども当然初期メンバーはいまさら自己紹介しなくてよいので、結果自己紹介は階級の下側の義務として残る。つまり労働者は自らになんら利益がないにもかかわらず、資本家・経営者による歴史的搾取を相続しているのだ...

それか、快楽・辛苦を人々どうし交換可能という立場に立つなら、新入社員による羞恥、手間といった50の不快と、その他大勢が楽しむという100の快を交換することで、幸福の総和を押し上げているとも考えられる。しかしこれは最も危険な発想だ。典型的に功利主義と呼ばれるこの考え方は、遡ればローマのコロッセオにおける奴隷兵士と猛獣の戦いである。コロッセオでは奴隷兵士と猛獣を戦わせるという野蛮なショーが、市民の娯楽として楽しまれたというのは有名な話だ。ここでは奴隷一人の命は大勢の市民の悦楽にとって変えられた。現代社会でこのような蛮行が許されるはずはない。


さて、様々な見解を述べたが最後に一つ、私が本命と目する意見を述べたい。こういった文化は日本的家父長制の流れを汲んでおり、すでに失われたこの制度に対する、現代人の憧憬が反映されたものなのだ。 そろそろ書いてて飽きてきたのでしめるが、まぁ今度から自己紹介でもするときには、戦前の日本の理不尽なイエ制度なんかをイメージしながらやってみれば、少しは心が和らぐだろう