仮想通貨やVALUについて(雑感レベル)
考えを整理して、いくつか文献に当ってみてからまとめたい。
所感
「企業」=>「個人」という文脈と「国家」=>「プライベートな組織」という文脈を乱用してる人が多い。
前者はツールの進化と働き方の議論で、後者と分けて考えるべき。
仮想通貨は後者の議論。すなわち通貨発行権が国家から、個人や私企業に開放されていくという考え。
現時点で国家の通貨を裏付けとしない貨幣価値はごく一部。なんらかのポイントは供託金がある以上、一定の裏付けがなされている。
ビットコインなどの分類はよくわからないが、価値があるかは疑わしい。
少なくとも取引所はルールが存在し、ルールがある以上法律の裏付けがあるので、最終的には警察や裁判所などの機能を持った組織(つまり当面の間は国家)に帰属するもの。
ルールを破ったものになんらかの罰を与えることが、国家以外の機能にできるとは将来的にも思えない。
例えばVALUが特定個人をルール違反としてVALUを剥奪しても、日本の法律に保証を求めVALUはそれ(裁判所の決定)に従わざるを得ない。この時点で国家の管轄内となってしまう。
第一それができたとして、それって中世ドイツの領邦国家とか、ハプスブルク家的国家観じゃないですかね。それが望ましいとはとても思えないが・・
VALUは投資と考えるには配当の裏付けがない。
最終的な裏付けがそれ自体が価値、効用につながるものであれば市場は成立するかもしれない。
特定個人の時間を売買する、などは人によって価値が異なり売買が成立するし、最終的にはその個人が時間分の労働を販売するか、時価で買い戻すことが必要になるのでわかりやすい。
死亡したら価値を失うが、それそのものは不自然に思えない。
ちょっとずつ前進してます
だいぶ久しぶりに更新しますが、今年に入ってオフィスを借りました。
このくらい。
で、僕もケチなので最初は僕の家においてあった机や椅子、ホワイトボードを持ち込み、足りない椅子は1000円で買った丸いすにしたりしました。
どのくらいドケチだったかというと、本当に必要最小限しか買いたくなかったので、ゴミ箱とかは袋を用意してそれに入れるとか、ダンボールで代用すればいいと言ってしばらく買わなかったくらいです(2ヶ月くらいで不平不満がすごく出たので3000円くらいのを買いましたが)
そんなにケチならそもそもオフィス借りるなよという話なのですが、なんとなく会社として一歩進んでる感じがほしかったのでこれだけは投資と思って借りました。(経営者の諸先輩方からはあまり推奨されませんでしたが)
当初はオフィス借りてもおもったより人が来ないとか、誰も寄り付かないという心配をしてたんですが、やはり「渋谷でアクセスの良い場所にそれっぽい場所を用意すれば人的交流がついてくる」という読み通り、それなりにオフィスに人が来るようになってます。
借りて2週間くらいの様子。置いてあるものはすべて家から持ってきたものです。
オフィスを借りてから人を呼びやすくなったので、学生や転職希望者、プログラミングを覚えたいという人、副業の人などがふらっと立ち寄れたり、シェアオフィス的に使わせてほしいという人が現れました。
で、机が増えました。
(手前に僕が手作りしたダンボールの棚?のようなのがあります。カーテンは親の仕事の関係でメーカー卸値で買ったのを送ってもらいました。)
最低限のオフィス家具を買いにIKEAに行きました。机は天板が2000円、椅子の足が500円*4=2000円、これを2組。
椅子はIKEAだと8000円〜とかだったので、amazonで1個5000円くらいのを2つ買いました。
あとはアウトレット品の本棚2000円を1つ。(ただしこれは後から送料が5000円くらいするということで、今までで一番良くない買い物でした)。
冷蔵庫・電子レンジはずっとほしかったのですが、コンビニで冷えたものを買ってチンしたもの持ってくればよいという判断で必要最小限には含まれませんでした。ので、当分買ってません。
冬場で暖房をちょっとしかつけてなかったので、寒さしのぎに温かい飲み物を飲むためにポットを買いました。これは奮発して1万円のやつ。
3月末に多少予算が残ったので、1.5万円でDELLのディスプレイを買いました(これは作業効率的に当時必要だったけど、やはり後からもっと安く入手できました)。
あとは本当に生活雑貨レベルのもの(ワイパーとか)で、本当に上で言ったもの以外で1000円超える買い物をしばらく控えてました。
というのは、よくオフィス移転してamazonウィッシュリストを公開しつつ、10万超える椅子だのダーツ台買う会社がありますけど、ああいうのにかなり否定的なんです。Googleならいざしらず、お金のないベンチャーが一時的に入ったお金(しかもたいてい投資のお金なので他人のお金)で贅沢品を買うのはどうなのかと。
で、うちの場合はその上お金もそんなにないので、メンバー内で50万くらいかけて家具揃えようという意見も出たのですが私が突っぱねてました。なるべく買わない、買うならノンブランドの中古品、というのを徹底する方針で。
そうすると不思議なもので、引っ越しに伴って冷蔵庫・電子レンジいらないけど引き取る?という人が現れました。
まずはこのへんを無料でGETです。ラジオも当然もらい物。
で、それなりに人の出入りも多くなってきて、ときには椅子が足りないとか、ディスプレイがほしいという状況になってきました。
そうするとまた不思議なもので、知り合いが「オフィスを縮小するので、家具類やディスプレイを買ってくれないか」という連絡がありました。
で、定価16000円のディスプレイを8000円でほしいだけ買ってくれと。
頭の中でいろいろな計算が始まり、4台で1万円で売って欲しいと言ってみると、苦笑されたものの結局売っていただけました(というか、売れ残ったのでそもそももっと安くもらえた可能性があります)
他にも欲しいものがあれば、ということなので行って来ていろいろなものをもらいました。
応接セット、一式1000円。テレビとその台、マイクで1万円。wiiが1000円(しまってある)。ヒーター各500円。(掃除機は移転祝いのプレゼントでいただきました)
緑の椅子は定価で9万円らしいですが、なんだかんだで500円でもらいました。
インクジェットプリンタは貰った物。右の複合機は3000円(でもけっこう古いらしいのでこれはいらなかったかもしれない)
ゴミ箱とかは件の会社に無料でもらい、奥の加湿器は数百円で買いました。
言いたいこと
こういう地道なことって事業規模が大きいと人数の関係でできなかったりしますが、このレベルの会社ではもらえる機会って必ずあると思ってます。例えば冷蔵庫は実は2件、引き取って欲しいというのを断ってます。オフィスに入居して正味4ヶ月でこれだけ揃うので、タイミング次第でしょうが家具類はほとんど買わないでも手に入る気がしてます。
家具って、一度処分すると分かるのですがわりと捨てるの大変です。
個人でも粗大ごみはシール貼ったりしますが、事業者はもっと大変で粗大ごみは業者呼ぶ必要があります。
事業を開始する人の数だけ事業を閉じる人もいます。そういう人にとって処分はわりと手間だし、コストです。
メルカリに出してもすぐ売れるとは限らないし、人によってはその出品作業が発生する時点でペイしなくなります。
ちなみに上の応接セット一式で1000円とかはさすがに買い叩きすぎかなと思ったのですが、後日この会社が業者を呼んで下取り価格を見積もったら、ほとんどが数百円、数千円だったそうです。買い手側の価値を売り手側が持ってるわけではないってことですね。
この会社は事業を縮小するということで、けっこうな額を調達しオフィス家具もいいものを揃えていたのですが、人員を整理しているそうです。
会社を経営してて最悪なことは取引先に支払いができなくなること、人件費を払えなくなることだと思います。次点でリストラをすることでしょう。
けっこうな規模まで会社を成長させたがリーマンショックで大規模なリストラを経験したり、震災後に破産したりと山あり谷ありなある社長から教えを請うことがあるんですが、一言でいえば金をなるべく使うな、売上を上げろということを言われます。
たいていのお金は最終目的が人だと思うのですが、その距離が近いものを優先したほうが良いです。高い椅子とかは生産性への投資、娯楽用品は福利厚生への投資なのだろうと思いますが、素人が行う投資はほとんどが誤った投資だと思ってます。消費で大金なくすのはホストクラブにドハマリするような人とか買い物依存症の人とかだけで、たいていの大金なくす原因は誤った投資(語学留学とかアパート建てるとか)にあります。
正直、金かけずにここまで揃えたのは我ながらなかなかのものだと思っているのですが、こういう運って波があるので常に好調とは限りません。失敗するときって、好調のときを基準に考えてしまうってのもあります。
心の贅肉をつけず、緊張感を持って引き続き頑張ります。
まずは不要だと言われてもらったジェンガがあるんですが、よく考えたら使う機会がないし積み上げたものが崩れるのって会社的に縁起悪いので処分しようと思います。
夢のある話
私も四半世紀生きてます。これくらい生きるとものの考えが180度かわることがあります。徹頭徹尾考えを貫くのは難しいものですね。
近頃ここ10年で、本当に私の中の評価が変わったなぁと思うのは亀田史郎氏です。
確か夏休みだったと思いますが、当時中2だった私がクーラー直下の自宅のソファで優雅に二度寝していると、テレビからけたたましい怒声が聞こえ飛び起きたんですね。
それが私と亀田史郎氏との出会いでした。
亀田さんは通常の日本人と違い色が黒く髪の毛がギラギラしていて(、それでいてつぶらな瞳なのでそのギャップが私は好きでしたが)、全体を通じて感じたのは大阪の人って怖いんだなということなんですね。
そもそも当時仙台から出たことがなかった私には東京ですら恐ろしい土地だったわけですが、その先の関西となれば熾烈な生存競争が日日行われているものだとばかり思っていました。
で、当時の記憶に話を戻すとテレビでは亀田さんと本業がよくわからないがテレビでたまに見るやくみつるさんが激しい口論をしてたんですね。
そしてガッツ石松がその間に入り、意外にも(?)冷静なコメントをしていました。
この番組内の喧嘩はすぐに中学校で話題となり、当然中学校の世論は世間と一緒でやく氏への賞賛でした。
それから10年が経ち、いろいろな経験を僕らはしたと思います。
例えば、会社で色黒で同じ髪型をした強面の上司が話をすると意外と親切だったり、東京に来て東京恐怖症もなくなり関西恐怖症も薄れ、やくみつる氏へ疑問を持ったりもしました。
そして10年後の今、私にとってこの亀田史郎氏はとても不器用で、口も悪くあたまも悪く字も下手で、生まれも貧しくろくな教育も受けず、一発当ててやりたいと野望、熱意だけで動いていたんじゃないか。ジャパニーズドリームじゃないかとすら思うわけですね。
一発当てればよいものを、なんだかんだと史郎氏は三兄弟全員を一定の成功に導いてますし、これは大したものだろうと思います。自分がいろいろなことに挑戦する身になっているからこそ、その凄さがわかるようになったのかもしれません。
最近では興毅氏は当初よりソフトな路線、敬語も使うしそこそこ礼儀正しいキャラになってますが、こういう所からもこの一家は根はそこまでDQNではないんでしょう。
まぁ、この三兄弟の裏に、亀田史郎というファーストペンギンがいたことを皆さんも3cmくらい覚えておいてあげてください。
今日見た夢
私の深層心理をどなたか解説してください。
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食べログ4.2のはやりの創作料理店に運良く予約がとれたので、知人と二人で行くことに。
席につくと愛想のよい店員がにこやかに語りかけて、一流店にもかかわらずアットホームな雰囲気。
食事の前に陶器やテーブル、椅子のデザインについて、店員が熱く語りだす。
「このテーブルは◯◯(僕の頭の中で作り出した架空の著名デザイナーの名前)さんの初期の作品なんですよ」
「この陶器は東山の◯◯さんのお弟子さんの◯◯さんが作った、気鋭の作品なんですよ」
などと言うのだけど、当然そんなデザイナーも芸術の心も知らない自分はあやふやな相槌に終始する。
その反応を見た店員の顔色がどんどん血の気を失っていく。生ゴミを見るような目で(なんでうちの店にあなた方のような人間が来たのか)という言葉に出さない抗議の声が聞こえてくる。
一応客なのでそのまま食事が出てくるが、食事はまぁ予想通りのうまさ。お会計も凝った店にしては普通の金額。
コスパのいい、美味しい料理を食べたものの、なんだか不満と虚しさが吹きすさぶ。
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さすがにこんな実体験は一度もないんですけどねぇ。。。
坂口安吾とセーフティーネット
業務中、いつものようにlivedoor NEWSを確認していたら衝撃を受けました。
二世芸能人の不祥事が取りざたされる中、果たして親の七光りだの、過剰な期待や注目を受けざるを得ない彼らは幸せなのだろうかと思いを馳せていると、次のツイートに第二の衝撃を受け思わず天を仰ぎました。
坂口安吾のパーティグッズ感。これでヒゲがあれば完璧。 pic.twitter.com/NEEmaODmEV
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) 2016年9月5日
三級知識階級に属するルンペン思想家を自認する私は、今年著作権が切れkindleで激安で並んだ坂口安吾全集を読んでいたわけですが
彼の評論で最も著名だろうという作品に「堕落論」というのがあるんですね。
ちなみに思想家を自認するケは小学生のころからあったので、親が絶賛していた堕落論を小6で読んでいたんですが(事実)、さすがにそのころは内容がいまいち理解できず、いつか堕落論とか難しい話が読めるようになりたいなぁという願望を形成しました。
堕落論は今読むと武士道や封建的権威を否定し、処女の純血純潔を否定し、戦後実存主義の典型のようなことを言っている(というか戦後実存主義をリードしたといえるか)、かなり読みやすい文章です。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことに寄って人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
(略)
そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
最後の数行を読んでもその論旨は明瞭なものですが、私はなんとなく同意しつつも何か簡単に同意していいのだろうかと言語化できないものを抱えていました。
そして今日、はっきりとわかったのですが、これは 文明論であるけども、社会思想ではない ということなんですね。
なぜなら坂口安吾の論理をそのまま坂口杏里に適応すれば、 坂口杏里はこのままMUTEKIからS1, 無修正, 東京熱と流れて、覚せい剤で逮捕されたりしながらロック座でストリッパーになるしかないのではなかろうか。
安吾先生はセーフティーネットなんていらないというけれど、今必要なのはちゃんとストップかけてくれる人じゃないでしょうか。
まぁこれはネタなので、まともな文学クラスタはその豊富な読解力でマジレスしないでほしいのですが、せっかくなので民進党の代表選、1人ぐらいは「坂口杏里助け隊」を結成し、AV業界にするどいメスを当てつつついでにしばき隊や在特会とも三つ巴の泥仕合を展開してほしいなぁ。
Google App Engine + Go の良い点・辛い点
ありがちなタイトルだが少しまとめてみます。 案件でAppEngineを使って3ヶ月程度になりますが、限られた用途においてベストパフォーマンスを発揮することは間違いないと思います。 しかしながらいくらかの不安点があるのも事実です。 自分の思考を整理するためにもまとめてみます。
Google App Engineの利点
1. ログやバッチ処理、ジョブの管理が容易
最大の魅力の一つと思いますが、ロギングやバッチ実行に対する管理コストが圧倒的に低いです。 そのほかメール送信や画像等のアップロードなどの機構を標準で持っています。
2. デプロイが容易
コードを書き始めてデプロイまであっという間です。Goの場合、デプロイは20秒程度で終わります。
3. スケーラブル
全く何も考えずにスケールするとまでは行きませんが、インフラに対して考慮すべき諸々から解放されます。 datastoreもスケーラビリティに優れています。バックエンドでCloud SQLを使用した場合はある程度DBがボトルネックになります。
Goの利点
1. 型安全である
これは説明するまでもないですがスクリプト言語に比べ型がある分、同じ処理をする場合に堅牢でしょう。 またコンパイラが厳密すぎるほど厳密なので、不必要なimportでもエラーを出します。go fmtで標準でコードフォーマットする機能もあります。
2. トレンドである
なんだかんだこれが大きいのですが、Goは体感として2010年以降に流行り始めた言語として最も勢いのある言語の一つだと思います。ほかはSwiftとかですかね。 トレンドであることは情報が多いとか枯れる速度が早いという実利もあるけど、人が集まってるほうが賑やかで楽しいと思います。
3. そのほかもいろいろ
goroutine便利らしいですね。ただ、appengineだとあまり出番ないです。使えないわけではないらしい あとAppEngineに関連してスピンアップが40msと非常に優秀なんですが、これは他も400msとかなのでそこまで優位かと言えば...
Google App Engineの辛い点
トレンドに対する不安
App Engineは2008年からリリースされ、2012年くらいにはかなり下火になっていた印象です。 ただし近頃は時代が追いついた?のかGo人気と相まってGAE/Goの資料を良く見ます。
とはいえGoogleが本腰を入れているとはあまり思えない部分があります。 GAEで書いたコードはGAEで運用し続けるのが前提となるわけなのでリスクの大きさは否めません。
Datastoreの制約
スケーラビリティと可用性の恩恵を受ける分、RDBMSでは考えられない制約があります。 少し触った程度で次のような問題とぶつかりました。
LIKE検索ができない
search APIを使うしかない?
OR検索ができない
これは非常に辛く、クエリを分けるかOR検索せずに済むよう検索にマッチするためのindexを作っておく必要があります。
例として restaurant.cuisine = japanese or korean
という発想ではなく restaurant.cuisine = asian
とした上で、 restaurant.cuisine
がリストで [asian, japanese]
と複数持つ。
Go の辛い点
ジェネリクスがない
ジェネリクスがないため、定義したstructに対して似たようなコードをたくさん書く羽目になります。
reflect
を使う手もありますがおそらくGo的なコードではないでしょう。
テンプレートが辛い
テンプレートエンジンとして標準の html/template
がありますが、Railsの豊富な機構になれているといろいろな不自由があります。
Railsでいう partial
はGoであらかじめ
tmpl, _ := template.New("").Funcs(funcMap).ParseFiles(paths...)
のように使用するpartialを全て ParseFiles
の中に入れる必要があります。
そうすると render
のネストのようなことをするときに controller のほうがあらかじめネストされたファイルまで関心を持たないといけません。
Railsのviewは非常に多機能なので render "category/#{@category.category_type}"
のようなことも当然のようにできます。
同等のことはできるのかもしれませんが、実装のしわ寄せがviewの外側にできます。
このあたりから、結局同等のことをやるために段階を踏んで細かいコードをたくさん書いていく必要が出てくるのに気づきます。
比較としてGoのほうがRubyよりバグが出ないかというと、このように最終的なゴールまでの過程が長くなる場合当てはまらないように感じています。 そしてRailsで簡単にできたことは、Goだと簡単にはできません。
総論; 堅牢性・保守性はメリットか?
GAE/Goを評価する論調として「LL言語より開発速度はやや遅くなるものの、それを超える保守性・堅牢性が得られる」と言われますが、私が携わるスタートアップ程度では開発速度は非常に重要なものですし、ユーザ数に上限があるサービスという前提を置くのは悪いことではない とも思います。
開発速度が求められるフロント部分はFlexible EnvironmentでRubyを、データベースにCloud SQLを主に利用した上で一部を GAE/Goで書く、などの利用もありなのではないかと感じ始めています。
マルサの女・脱税
前回の記事はこちら
あまちゃんの夏ばっぱが若いころ国税調査官をやっていたころの話である。
マルサの女1ではラブホテル経営者の山崎努を追い込み、マルサの女2では地上げ屋兼宗教団体管長の三國連太郎と戦う。
どちらも実によくできてる。
1作目はラブホテルのように領収書を切る必要がなく、明確な消耗品も少ない産業で容易な売上の除外が大きなテーマになっている。
法人は個人と同様所得に対して課税されるわけだけど、売上が小さく経費が大きいほど払う税金が減る。だから手口は売上を小さく見せるか、経費を大きくするかのどちらかになる。
理髪店なんかは誰も見てない所でお客さんの髪を切っちゃえば簡単に売上を別の勘定にできそうなものだけど、そういう典型的な手口は簡単にバレる。というのは、税務署や国税からすればどんな業態でも財務3表が見れるわけだから、同一業態の中でその比率がおかしい会社を順番に洗えばいいわけ。
そして税務調査に来られて、消費したシャンプー剤や毛髪の廃棄料が明らかに多いとそれを指摘される。
一方、2作目は脱税スキームに宗教法人が組み込まれている。マルサの女の世界では宗教法人が周囲のパチンコ屋やソープランドの実質的経営者、ということになっていた。
そこで宗教法人の税金について少し調べてみることに。
宗教法人にとってその宗教活動に関わる金銭に税金がかからないのは以下のような理由だ。
例えば会社の有志十数人で旅行にいく。一人15万円かかるとする。15人いると225万円集まる。
これを幹事がまとめて旅行代理店に支払う。そして全員で旅行にいく。
このとき、幹事は集金した225万円に対する税金を払う必要はあるだろうか? あるはずがない。
彼らは自分のお金を自分の口座の外に出しているものの、皆で寄せ合ったお金を皆で使っているだけだ。
宗教も拡張してこの原理による。他人のお金を自分のものにしたときに税金がかかり、自分のお金を移動させることには税金がかからない。
屁理屈のようだけど、そういうことらしい。
ちなみにこの本はそのほかにも参考になることが多くて、とくに新興宗教のビジネスモデルや、各団体の事業規模は勉強になった。
この本に出てくる真如苑、阿含宗とかは知らなかったんだけど、武蔵村山に広大な土地を買ったり、相当潤沢なキャッシュを持っているという。信者数で割ると創価学会を圧倒するらしい。
宗教法人が脱税のスキームに組み込まれることは珍しくなく、本の紹介によれば地上げ+宗教+脱税のハイブリッド(マルサの女2の話そのもの)が近年も実際に会ったという。その場所はこちら。