プログラミング 美徳の不幸

Ruby, Rails, JavaScriptなどのプログラミングまとめ、解説、備忘録。

夢のある話

私も四半世紀生きてます。これくらい生きるとものの考えが180度かわることがあります。徹頭徹尾考えを貫くのは難しいものですね。

近頃ここ10年で、本当に私の中の評価が変わったなぁと思うのは亀田史郎です。

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確か夏休みだったと思いますが、当時中2だった私がクーラー直下の自宅のソファで優雅に二度寝していると、テレビからけたたましい怒声が聞こえ飛び起きたんですね。

それが私と亀田史郎氏との出会いでした。


亀田さんは通常の日本人と違い色が黒く髪の毛がギラギラしていて(、それでいてつぶらな瞳なのでそのギャップが私は好きでしたが)、全体を通じて感じたのは大阪の人って怖いんだなということなんですね。
そもそも当時仙台から出たことがなかった私には東京ですら恐ろしい土地だったわけですが、その先の関西となれば熾烈な生存競争が日日行われているものだとばかり思っていました。

で、当時の記憶に話を戻すとテレビでは亀田さんと本業がよくわからないがテレビでたまに見るやくみつるさんが激しい口論をしてたんですね。
そしてガッツ石松がその間に入り、意外にも(?)冷静なコメントをしていました。

この番組内の喧嘩はすぐに中学校で話題となり、当然中学校の世論は世間と一緒でやく氏への賞賛でした。




それから10年が経ち、いろいろな経験を僕らはしたと思います。
例えば、会社で色黒で同じ髪型をした強面の上司が話をすると意外と親切だったり、東京に来て東京恐怖症もなくなり関西恐怖症も薄れ、やくみつる氏へ疑問を持ったりもしました。

そして10年後の今、私にとってこの亀田史郎氏はとても不器用で、口も悪くあたまも悪く字も下手で、生まれも貧しくろくな教育も受けず、一発当ててやりたいと野望、熱意だけで動いていたんじゃないか。ジャパニーズドリームじゃないかとすら思うわけですね。

一発当てればよいものを、なんだかんだと史郎氏は三兄弟全員を一定の成功に導いてますし、これは大したものだろうと思います。自分がいろいろなことに挑戦する身になっているからこそ、その凄さがわかるようになったのかもしれません。


最近では興毅氏は当初よりソフトな路線、敬語も使うしそこそこ礼儀正しいキャラになってますが、こういう所からもこの一家は根はそこまでDQNではないんでしょう。


まぁ、この三兄弟の裏に、亀田史郎というファーストペンギンがいたことを皆さんも3cmくらい覚えておいてあげてください。

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